思索と妄想

石井和沙(いしいかずさ)/イサイシズカの雑記

ラフLOという工程について

少数の個人制作だとワークフローはかなり自由に試行錯誤できる。

僕の場合、いくつか通常のアニメ制作とは異なるフローを試したりしていて、ラフLOと僕が勝手に呼んでいる工程もその一つ。

そもそも僕のワークフローだと、通常はコンテ→LOとなるところにコンテ→ラフLO→ラフボード→映像設計といくつかの工程を増やしている。これはどういうことかというと、要するにコンテとLOの間に各種設定制作と必要リソースの(精度の高い)見積もりをしているだけだ。
このフローだと、LOの段階ではただ絵を清書するだけで、通常LOで決めていたセル、背景、CG、カメラ等の要素をいくつかの工程に分けて、より細かく設計する。

なぜこんな面倒なことをしているかというと、少数個人の制作でクオリティを担保するための方法論の一つとしてやっている。時間はかかるけど。

 

で、今回は気まぐれにラフLOというフローの意義について自論を垂れ流す。

具体的には、ラフLOの工程ではこのくらいまで描く。

f:id:newadventure2004:20180106215651j:plain

必要最低限の演出意図が達成できている程度までカメラ、ライティング、演技、リソース等を描きこんだ状態。上のカットはライティングが全然甘いけど、どこまでやるかはカットの自己理解度により幅がある。
CG素材や背景は、後でデザインが確定してから差し替える。

このやり方をやってみて気づいたのは、プロップとか背景の設定が決まっていなくても、画作りの大勢に影響はほとんどないなということ。つまり、デザインがなくても画作り自体は普通にできるし、むしろデザインが未確定のほうが修正もしやすいしアイデアを考える時間と作画時間のレスポンスのズレ幅が小さくてストレスも少ない。そしてなにより重要だなと思ったのは、先に決まっている設定によって画作りを制限されてしまうという可能性を排除できたことだ。

昔、「ビューティフルドリーマー」のオーディオコメンタリー中で押井守が、画がいい感じになることが第一で、設定とか辻褄は二の次で作っていたことをして「カット至上主義」と言っていた記憶があるけど、僕のラフLOも根本的な考え方は同じ。大事なのは辻褄じゃなくて如何にいい画を作るか。
その思想をワークフローに組み込んでみたのがラフLOという工程である。